開催まであと2日となりました。
週末の天気は曇りの予報となっていますが、荒天とならないことを
かげながら祈るばかりです。
さて、川口暮らふとでは毎年さまざまな形で、地域の産業をお伝えしてきました。
”植木”を紹介した昨年に引き続き、3回目となる今年は”織物”を紹介します!
〜織物産業の歴史〜
川口市の北西部と、隣の蕨市に隣接する芝地区では、江戸後期から昭和初期にかけて、鋳物に次ぐ地場産業として機(はた)業が盛んでした。
みなさん、ご存知でしたか?
とくに綿織物を中心として、衣類から工業製品まで幅広く製造されていましたが、残っていた工場も昨年、とうとう閉鎖に。
織機(しょっき)工場の跡地は、住宅地へと姿を変えていきましたが、川口にある織物会社は長年培ってきた知恵や技、人脈を活かしながら、多様に対応する卸業者として継続されているのです。
能率のよい高機(たかばた)写真:蕨市立歴史民族資料館 |
〜希少な ”双子織(ふたこおり)”〜
私たち実行委員が、川口の織物の歴史を調べていくうちに辿り着いたものが・・・
双子織(ふたこおり)という織物。
これは、隣の蕨市で生まれたもので、江戸時代、畑の裏作として綿の生産を始めたことにより、衣服が作られたことがきっかけのようです。
江戸中期に、塚越村(今の蕨市塚越)で機屋を始めた高橋家。のちに江戸後期頃より創始者の次代(6代目新五郎)が開発した「二夕子織」が評判となり、江戸で広く知られるようになりました。
それから幾度も改良を重ね、2本の糸をよって織られたものが「双子織」と呼び名を変え、蕨にとどまらず、現在の川口市やさいたま市にも織物業が広がりました。
双子織の生地 |
しかし、時代が進み機械化に遅れをとったことで、昭和に入ると急速に衰退してしまいました。
現在では、「中仙道蕨宿双子織復興会」の方々がこの双子織の復元・復興に力を入れ、必要に応じて群馬県の工場で生産(機械織)をしています。
また、有志で結成された「はたこっこ」の方々が講師として吉田金造氏(吉田織物)を招き、蕨市立歴史民俗資料分館にて当時の双子織を手機で再現、また研究・普及活動に励んでおられます。
みなさんも、ぜひ会場で実際に生地に触れながら、川口市の機織産業の歴史にもふれてみませんか?
【取材・協力】 ※順不同
旭織物株式会社
吉田織物
中仙道蕨宿双子織復興会
COUTURE KAWAMURA
はたごっこ
おんぼらっと
【参考文献】
「織物のまち・蕨」(蕨市立歴史民俗資料館)より一部引用